伊万里トンテントンとは

伊萬里神社の御神幸祭で、市内の数ヶ所で統制のとれた勇壮な合戦を繰り広げます。
ねじり鉢巻姿の血気盛んな伊万里っ子たちによって担ぎ出される「荒神輿」と「団車」が、「トン・テン・トン」と打ち鳴らす太鼓を合図に、双方激突し組み合う壮烈な喧嘩祭りは、全国でも類を見ないものです。

開催場所・期間

開催場所:佐賀県伊万里市・市街地にて
期 間:10月19日(神殿祭)に合わせた土曜日、日曜日で、安幕(夜)本祭2日間の計3日間

※日程は毎年若干変動しますのでご確認下さい。

祭最終日の川落し


祭りのクライマックスに行われる「川落し」では、双方の神輿と団車が組合ったまま、川に落ち陸に早く引き上げられた方が勝ちとなります。
荒神輿が勝つと翌年は豊作、団車が勝てば翌年は豊漁に恵まれるといわれています。荒神輿と団車が組み合ったまま、伊万里川になだれ落ちる雄姿は壮観で感動の渦と化します。
このように伊万里トンテントン祭りは、九州男児の心意気を示す伝統的な祭りであり、勇壮な合戦絵巻を繰り広げます。

祭りのおこり

トンテントン祭りは、伊万里川河畔にあった香橘(こうきつ)神社と戸渡嶋(ととしま)神社で、それぞれ行われていた収穫感謝の御神幸祭に端を発し、南北朝の故事になぞられ、荒神輿を楠木方、団車を足利方に見立てた合戦祭りになったものと伝えられております。

荒神輿の香橘神社の創建は、田道間守(のちの菓祖神)が中国より橘を持ち帰り、この地に植えたことに由来し、橘氏の祖である橘諸兄命(たちばなもろえのみこと)を祀り、楠正成はその橘氏の末裔であります。

また、団車の戸渡嶋神社は建武の頃、足利尊氏が敗戦の後、筑紫に降り松浦の海上で暴風に遭遇した折りの救いの神を祀っていましたが、その後昭和30年代に、香橘神社、戸渡嶋神社、岩栗(いわくり)神社の三社が合祀された際に、伊萬里神社と改称され現在に至っています。

荒 神 輿


巡幸時は「チョーサンヤ」(朝廷に参ずるという意味)とかけ声を掛けながら、町内を巡幸します。
喧嘩時は「キーワエンカ」(こっちに来てみろという当地の方言)とかけ声を掛け団車を挑発します。又、合戦場所からは荒神輿が勝った時点で先に逃げ、次の合戦場所まで巡幸します。

【縄・担い棒】
「本 縄」=長さ約40m、太さ5分
「担い棒」=縦棒、長さ15尺(約4.5m)横棒、8尺(約2.43m)
(荒神輿・団車共通)

団 車


巡幸時は、ゆっくりとした三つ太鼓の後、「アラヨーイトナ」とかけ声を掛けながら、町内を巡幸します。
喧嘩時は、荒神輿の挑発の後、はやい三つ太鼓を合図に「カーマエロ」(団車、荒神輿共に)とかけ声を掛け合戦が始まります。

5段重ねの5色の布団は、陰陽五行説を意味し、上から青が空、黄が風、赤が火、白が水、黒が土を意味しています。

白 神 輿

白神輿は(金色)香橘神社

白神輿・赤神輿、和御霊(穏やかな、物事を和め清める神)を祭り期間中、白赤神輿にお乗せして伊萬里神社より市街地に下りてきて頂き、街中の邪気を清めて巡幸されます。赤神輿・白神輿を見かけられましたら、是非ともお参りしてください。

赤 神 輿

赤神輿(赤色)は戸渡嶋神社

昔は、白神輿赤神輿ともに氏子が担いで神幸していましたが、40年程前に人手不足などの理由により、台車に乗せ神幸しておりましたが、平成22年より再び台車を使用せずに、担いで巡幸しています。

お供町・出番町

お供町は、神仕えの町で、白神輿・赤神輿の巡幸に奉仕します。出番町は、荒神輿・団車を担ぎ、合戦する町です。(お供町、出番町は年によって担当が異なります。) 平成18年は、神輿(みこし)に随行する小学生の笛隊が約50年ぶりに横笛を演奏しました。
約50年ほど前からリコーダーを使用していたといわれます。

いまり秋祭り・わっしょいパレード・いまり総踊り

トンテントン祭りに合わせ2日間、浜町交差点特設舞台を主会場とし、郷土色豊かな市民の祭りとして、「いまり秋祭り」が開催され、「子供みこし等のパレード」や「いまり総踊り」「郷土芸能」などの盛り沢山のイベントが喧嘩祭りに彩りを添え、祭りの秋を一段と盛り上げます。

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