伊万里トンテントン祭りは 文政12年(1829)、有田皿山代官が伊万里郷の各神社の祭礼の日を9月23日(旧暦)に改めさせたのがもとで、
各神社の祭礼・神輿を競い、徐々に現在の合戦につながってきたのではないかと思われます。
しかし、当時の文献が残ってない為、詳細についてはわかっていません。伊万里トンテントン祭りは、時代とともにやり方を変えながら行われてきました。
昭和20年(西暦1945)代は祝儀や、華美な料理を自粛する呼び掛けがあったり、昭和30年(西暦1955)代は、危険の無い楽しめる祭りへの試みがなされたり、合戦の回数を減らしたり、川落しの場所変更、平成になり、担ぎ手不足から、神輿・団車を台車に乗せての巡幸、現在も祭りは伝統を守り継続しています。
平成18年(2006年)に、事故が起きた為、トンテントン祭りの従来の合戦が行われず、平成24年、安幕で模擬合戦として、仕掛け太鼓の3連打「トンテントン」を合図に、団車(だんじり)と荒御輿(あらみこし)を組み合わせ、競り太鼓で双方の担ぎ手が一斉に押し上げ、歓声が上がり倒し合うことなく、引き太鼓の合図で納められた。
平成25年、安全が確保された奉納合戦として。あらかじめ倒れる方向を決めて、検証を重ね統制の取れた、安全な倒す合戦が行われました。
今年も秋の祭りには安全で勇壮な合戦ができるように、早くから検証が行われています。
昭和 | |||||
西暦 1955年 |
昭和30年 | 農村部の住民が担いでいた白神輿を1頭引き牛車で引いて町を巡幸 | |||
1958年 | 昭和33年 | 泥酔は怪我のもととして振舞い酒の全廃 合戦場所の戸渡島神社前、伊万里郵便局前を廃止 |
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1961年 | 昭和36年 | 巡幸路の一部変更、合戦場所の縮小、その結果怪我人の減少(ほとんどが軽症) | |||
1963年 | 昭和38年 | 合戦の中止(巡幸と組合いのみ行われた)、従来の半分の大きさの神輿・団車となる | |||
1964年 | 昭和39年 | 合戦を例年通り実施(静かなトンテントンでは、不満があり、見物客の減少等の為) 担ぎ手の疲労軽減の為、巡幸路を短縮 合戦による負傷者減少の為、合戦回数減少、担ぎ手の飲酒、各戸での酒の供応禁止等が決定 |
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1969年 | 昭和44年 | トンテントン祭事務局の移転、伊万里公民館より、伊万里市観光協会に設置 | |||
1970年 | 昭和45年 | トンテントン祭事務局の移転、伊万里市観光協会より、商工会議所に設置(前年度人手不足等の理由から) 保険会社との契約で、出番の人に傷害保険を掛ける |
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1972年 | 昭和47年 | 川落し合戦場所の変更(従来の海岸通りから対岸の搦町裏側にできる埋立地に変わった) | |||
1974年 | 昭和49年 | 祭り開催期間の変更(10月22~24日から、10月第3金・土・日曜日に変更) 従来通りでは、平日が多い為に学校及び市役所業務の影響、観光客増加の為の対策 |
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1979年 | 昭和54年 | 出番町の編成替え(5組を4組に) 伊万里トンテントン祭り最終日を「いまり秋祭り」として 創作神輿・子供トンテントンの参加、ブラスバンド、パレード、郷土芸能大会開催等の観光面の強化 |
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1981年 | 昭和56年 | 祭り開催期間の変更(10月第3金・土・日曜日から、従来の10月22~24日に変更) 観光より神事、周辺農村部のくんちとの重なり、宣伝等の手間等の理由 |
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1983年 | 昭和58年 | 川落し会場の舞台拡張(会場の中央部に当たる24mの壁を取壊し、長さ1.5m計16個の移動・組立式擁壁に改造) | |||
1985年 | 昭和60年 | 担ぎ手不足の為、助っ人募集(旧伊万里町の出番町区を6区に分け、6年に1度の出番であったが、 昭和30年代に5区とし、さらに54年度から4区に分け4年に1度の出番制にしてきた) 出番区の事業所に勤務する出場希望者・以前同町区に移住していた人・区民が推薦した人等を 対象に助っ人募集区民の推薦者を区長会で健検討し、「川北地区トンテントン愛好会」に 加入させての参加となった。結果約40名を確保 |
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1988年 | 昭和63年 | 天皇陛下のご容態を考慮し、祭りを中止、昭和17、8年頃に赤痢がまん延し中止されたが、戦後の中止は初めて | |||
平成 | |||||
西暦1990年 | 平成2年 | 担ぎ手不足等から、一部を台車に乗せて巡幸 | |||
1991年 | 平成3年 | 祭り振興の1つとして戦前まで行われていた「小屋入りの復活」神事の後、 上土井町の宮大工様宅まで台車で運ばれた |
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1995年 | 平成7年 | 佐賀市の夏祭り「栄の国まつり」に参加、合戦が行われた。 【伊万里トンテントン】の他、県内の山車十八台が、佐賀に集合した |
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1998年 | 平成10年 | 平成9年(1997)年の事故の為、合戦場所を22日の安幕を2ヶ所から1ヶ所に、23・24日の合戦も、 出番町によって3ヶ所減少させ、各場所での合戦回数を、2~4回の範囲で行う事とし 、鉢巻きの着用徹底が決められた |
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2005年 | 平成17年 | 県外遠征、「全国j都市緑化フェアアイランド花どんたく」福岡にて合戦が行われた NHK「にっぽん愉快家族」に出演、伊万里市民会館舞台にて、合戦の形式のみ行われた |
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2006年 | 平成18年 | 伊万里市民センターでの事故のために、その後の合戦は中止し川落し会場にて、 みそぎの儀式のみが行われた |
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2007年 | 平成19年 | 昨年の事故の為、合戦を中止。伊万里秋祭りと伊萬里神社秋祭りとが切り離されて、 10月23日に白神輿・赤神輿 ・荒神輿・団車の奉納神事が伊萬里神社で執り行われた。 |
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2008年 | 平成20年 | 合戦が中止され、巡幸のみ執り行われた。2年ぶりに市街地に 「アラヨイトナ、ちょうさんや」の掛け声が響いた。 巡幸に南が丘が追加。 |
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2009年 | 平成21年 | 合戦が中止となり、2年連続で【御旅所祭】氏子地域内の道行巡幸実施。 23日に白神輿・赤神輿・荒神輿・団車の4基バラバラで巡幸が行なわれた。大けが訴訟問題の和解が成立した。 |
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2010年 | 平成22年 | 【原点復帰】氏子地区内を白神輿・赤神輿・荒神輿・団車の4基が巡幸。 移動の際に、基本担ぐ事が前提となり台車を廃止。白神輿と赤神輿は42年ぶり、 荒神輿と団車は20年ぶりに担いでの巡幸が行われた。 |
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2011年 | 平成23年 | 【日程変更】 2011年は、「10月19日(水)-本祭」のの週末に合わせ、 「21日(金)-魂入れ」 「22日(土)23日(日)-巡幸」に行われました。 街中の数ヶ所で、新しい形の奉納トンテントンが行われた。 奉納トンテントンとは、喧嘩太鼓を合図に、手を離さず、押し倒さない安全な組合い) |
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2012年 | 平成24年 | 10月26日(金)安幕復活(模擬合戦)、27日(土)雨天中止、28日(日)模擬合戦が4箇所で行われた。 昨年よりせり上がり歓声が上がった。 |
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2013年 | 平成25年 | 10月25・26・27日計3日間祭りが行われ、安幕伊万里中学グラウンド、26日東八搦お祭り広場、 27日川落し3回の奉納合戦(安全が検証された真裏にひっくり返す合戦)が行われて、 7年ぶりにひっくり返す時のドシンとした音が響き、歓声が上がりました。 また川落しでは見事に組み合ったまま、川に落ち団車が先に陸に上がりました |
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2017年 | 平成29年 | 11月4日(土)名村の七ツ島会場で行われた、伊万里みなと祭りに「トンテントン」が招待され合戦が行われました。東西南北の担ぎ手が参加。 |
日本三大喧嘩祭りとは、伊万里トンテントン祭り(伊万里市)、新居浜太鼓祭(愛媛県新居浜市)、飯坂けんかまつり(福島県福島市)だそうです。